一月は大上段に「日本人は変わったのだろうか」等と申してしまいましたが、気がつけば刻々と除夜の鐘が近づいています。「一体オレは何をしていたのだろう」と、改めて驚きあきれる次第です。なにぶんにも人生の第4コーナーを曲がった身ではありますが、世の中には80歳で起業される方もたくさんある時代。トシ等といっては居られないようですね。


 今年はこのコーナーを3度更新しただけで、時間切れを目前としております。日本も世界もまことにめまぐるしく、矢のように流れ、気がつけば「平成」の御代も終わろうとしています。年号は今や日本だけなのでしょうか。でも、「1930年代から80年代」といわれるより、「昭和」と言われた方がイメージを浮かべやすいのは私だけでしょうか。「明治維新」を「1868年革命」といわれても、ぴんとこないですね。


 それよりも何よりも、日本国が憲法によって、「国民統合の象徴」として天皇陛下をいただく国である限り、「年号」も続いてほしいと願うものです。


 そして、改めて再来年の御退位によって「平成」が終わると決まってみると、これからの日本を思うとき、数千年の歴史のあり方を振り返り、将来の世代が複雑怪奇な世界の中にあって、しっかりと自分の足で立ち、世界の人たちと知恵を出し合いながら、緩やかであっても着実に発展を続け、他の国の人たちにもそれが「望ましい」と思ってもらえるような国であってほしいと思います。と、まあ、ずいぶんとエラそうな事を書いてしまいました。


 では、そのためには何を思ったら良いのでしょう。私はもう一度、地政学的に、また歴史的に「自分の立ち位置」を確認し、いたずらにおごらず、卑屈にならず、「人間」という動物のみが持つ「見えないものまで考える事ができる」(数字の識別能力では人間の子供よりも優れているチンパンジーも「そこにないもの」や「見えないもの」については考える事ができないのだそうです)能力を自覚し、社会の最小にして最も重要な単位である「家族」を大切にできるような生き方を考えて行く事が大切だと思います。


 こんな事はどなたでも考えておられることだとは思いますが、いざ具体的に取り組む事となると、どの一つをとっても難しい問題を含んでいるのではないでしょうか。


 しかし、世界は止まってくれません。今現在でもいたいけない子供たちが殺されたり、治ることのない大けがを負わされたりしています。食べるものがなく、動物のように死んで行く子供たちもたくさんいます。自分の身分を守るためには平気で自国民を殺し、核兵器の生産にいそしむ指導者もいます。「家族の利害はわが国の利害」と錯覚して、無用な殺戮の種を一生懸命まいている指導者もいます。


 お寺も「何か世の中のためになる事をしなければ」という声は10年前から比べれば少しずつ増えてはいると思いますが、まだまだでしょう。


 お寺にいると、たくさんの方々の生き様や終焉を見ることになります。きれい事ではすまないのが人間の社会かもしれません。でも、「ああ、こんな良いこともあるんだ」と思える事に巡り会って胸が熱くなることもあります。


 みなさま、どうか、来年が(実質的に)平成の最後の年にふさわしい年になりますよう、そして、皆様お一人お一人が幸せの種をしっかり掴む歳になりますよう、心よりお祈り申し上げております。

2017年12月