ホームページをご覧になる方の中にはこの「住職の心情」の欄を時々ご覧になる方もあると承知しております。「年寄りの愚痴」に目をとめていただき、大変ありがたく、「今年こそもっとたくさん書こう」と、毎年決意を固めるはずなのですが、最近は時の流れの速さにオロオロしているうちに、なななんと、4月末で天皇・皇后両陛下がご退位され、5月1日からは30年以上慣れ親しんできた元号「平成」が「令和」となり、皇太子殿下が天皇陛下になられることとなって、何となく人々も浮き足立っているような気がいたします。


 そんな中でも庭の桜が咲き、満開を迎えようとしているではありませんか。年の初めのご挨拶もしないうちに時代の節目が来てしまったのですね。今上陛下には昭和の時代の「戦争」という巨大な負の遺産と向き合われ、沖縄、広島、長崎、東京はもとより、遠く太平洋の激戦地ペリリュー島まで慰霊の旅を続けられました。


 また、雲仙の火砕流の被災地から、阪神淡路大震災、東日本大震災、毎年のように起こる豪雨の被害者など、最近は特にお体が厳しい中で被災者へしっかり寄り添われ、生きる勇気を与えて下さいました。本当にありがたいことです。今はただ、日々お健やかにお過ごしいただきたい、と願うばかりです。


 さて、目を私に転じれば、「ひょっとして、ついにお坊さんもあっちへ行ってしまったのか」と思われた方もあるでしょう。でも、まだ生きていたのです。


 ともかく毎朝仏様に向き合って、朝のお勤めだけは欠かさずさせていただき、皆様のご安泰とご多幸を、さらには世界が平安でありますようにご祈念いたしてはおりました。


 年初の諸行事が過ぎ、宗門の新聞のコラムや講演(2回)の原稿書きを終わらせ、気がつけばお彼岸の準備に追われ、それが終われば4月は池上本門寺の千部会(法華経28品をたくさんのお坊さんが最初から最後まで通読いたします)での法話の準備です。


 「こんな事では死ぬまでに私が経験したり見聞きしたことをまとめた原稿をまとめることはできない」と、気持ちは焦るのですが、どうもいけません。


 「いっそ酒を断つか」とも思いましたが2日ともちませんでした。情けない話しです。皆さんには「どうか、一つでも人の役に立つ人生を送れば、納得してあっちへ行けると思います」なんて、エラそうに言っているのが恥ずかしい限りです。


 でっ、今最大の話題は平成の回顧と令和への期待でしょう。連日天皇・皇后両陛下の話題がテレビ、新聞を賑わせ、若い方も改めて日本が元号を使っている意味を考えさせられているのではないでしょうか。ひたすら憲法第1条の「国民統合の象徴」とはどうあるべきか、をその行動で追求し続けられた両陛下に多くの国民が深い感謝と希望を実感していると思います。


 一国民としてはそうした両陛下にもっと「うれしい」できごとで喜んでいただけるような時代であれば良かったのに、という思いはあります。


 そして、これからの日本を考えてみますと、子どもの減少、若い世代の減少、つまり、税金や保険料、年金積み立て金などを払って世の中を支えて行く人口が急速に減少し、世界をリードした「もの作り日本」はロボットや外国人に頼らねばならなくなるようです。


 日本の安全は「平和を愛好する諸国民」にゆだねるはずでしたが、1945年、日本の敗戦後、80年代までアジアで戦火が途絶えることはほとんどありませんでした。


 今、気がついて周りを見てみると、日本の周りの国はほとんど核武装し、中国に至っては第2時世界大戦後も武力を行使して膨張を続け、歴史上最大の領土を支配していますが、まだ満足できず、太平洋を取り巻く地球の半分は西は中国、東は米国、この二大大国が支配して行く事を真剣に目指しています。


 いな、ヨーロッパまで、「一帯一路」でまず経済から支配して行こうと真剣に努力しているようです。


 そして、お隣韓国はもっと深刻なことになっています。文化的に中国の影響を受け続けてきた朝鮮半島の人々は「人治主義」から抜け出せません。普通は法律が最低限度の秩序維持の基本と成り、国同士では一端結ばれ、国会で承認された条約が基本となって政権や時代が変わっても変わらぬ友好関係を続けて行く、というのが国際間のルールのはずです。


 それで、これまで両国の政府が交渉によって条約を調印して国と国のおつきあいをしてきたわけですが、たまたま現在の政府がそれが「気に食わん」となり、多くの人々が「そうだ、そうだ」となれば、これまでの約束や方針を無視、または否定してしまうのです。


 報道界に長く身を置き、この中国と韓国の様々なレベルの人たちとおつきあいしてきた私としては、「自分が努力してきたことは何だったのだ」という強い無力感があります。今でも連絡を取り合っている人たちの中にはそれぞれの国の中で苦しい立場の人たちもいると心配しています。


 日本ではいろいろなメディアが実施した「新しい元号にどんなものを希望するか」というアンケートでは「平和」という回答が一番多かったものもあったようです。でも、平和は一国の問題ではないでしょう。関係する全ての国が信頼し合い、それを具体的な行動で示すような状態が必要なのではないでしょうか。


 もう一つの隣国ロシアも今、着々とかつてのソ連時代のような、強大な軍事力再建を進めています。


 中国は米国と対抗できるような「超大国にふさわしい」軍事力構築のため、国際的な批判は一切無視し、次々に南沙諸島の岩礁を埋め立て、「民間空港を作る」と言ってましたが、軍事基地を次々に完成させ、領土紛争を武力で解決する意思を明らかにしています。


 日本との関係について言えば、まず、尖閣列島をめぐり領土紛争がある、という状態を作り、次に「中国固有の領土だ」と主張し、一瞬でも日本が気を抜けば上陸作戦を実施する体制にいます。それだけでなく、琉球列島、つまり沖縄県にも「本来は中国の領土だった」との主張を展開しているようです。


 でも、中国はもとより、韓国とも安定した友好関係を築いて行かなければなりません。これは、次の時代を背負って行く若い方々が背負って行く宿題です。


 かつて、平和運動をやっていた日蓮宗のお坊さんと話し合ったことがありましたが、「僕たちは僧侶だから祈ることが仕事だ」と言われました。


 祈ることは私たちの心に素晴らしい宝物を作ってくれます。かつて、マレーシアでは中国系の新聞の論説委員とマレーシアで最も美しいというイスラム教の聖堂をお詣りしたことがあります。とてもすがすがしい雰囲気の場所でした。米国やフランス、オーストリアではキリスト教の壮大な聖堂で祈りに参列したこともあります。


 米国では黒人によるゴスペルにも心を動かされました。インドでは国際会議で講演したダライラマが退場の際、出口付近の見送りの列の後ろにいた私に「日本人ですか」と声をかけられ、手をしっかり握られて感動したこともありました。確かに、宗教には大切な役割があると思います。


 でも、世界、または地域の平和を考える時に忘れてならないのは、一般的には世界中の人々が日蓮宗や仏教徒ではないということです。


 イスラム教を信じる長年の友人もいますが、その人たちから見る限り、イスラム教徒も平和を願っています。でも、「イスラム」の名の下に凄惨な事件や大量の虐殺が行われてきたのも事実です。


 キリスト教も歴史的に見ればヨーロッパの中で「30年戦争」や「百年戦争」をくり返し、ヨーロッパ列強のアフリカやアジア、中南米の植民地化の先兵ともなりました。


 戦前の日本からも神道関係者が天皇崇拝を現地の人たちに強制する仕事をしたり、日蓮宗を含む仏教関係者が大陸に渡り、あるときは日本軍と行動を共にしたり、様々な活動をしたのは事実です。


 「歴史は繰り返す」と言う言葉があります。「二度と同じ過ちを繰り返してはならない」ということばを単なる「祈り」としてはならないと心から願う者です。皆さん、私たちはどうしたら良いのでしょう。ご一緒に考えたいですね。お一人お一人のご健康とご多幸を祈ります。今年もよろしくお願いいたします。


2019年4月