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 このコーナーをご覧の方はどなたも、まずは良き新年を迎えられたこととお喜びを申し上げます。


 昔の正月というものは国中がなんとなく華やいで、誰もが新しい気分を味わっていたような気がするのは私が年寄りである証拠でしょうか。何しろ、今では元旦だってコンビニは開いているし、門松なんて気の利いたものを玄関に飾る家はほとんどなくなってしまいました。入り口のドアに正月の飾りが掛けてあるのはましな方でしょう。


 子供たちも正月だからといって、たこ上げやコマ回し、女の子の羽子板なんて風景も見られなくなってしまいました。ただ、昨日と同じ時間が流れているだけとなれば、人はどうやって流れて行く時間を感じ、人生の年輪を数えることができるのでしょう。


 そのせいかは判りませんが、サラリーマンもタダ、年末年始の一週間足らずの休暇に古郷に子供を連れて帰省したり、この頃は外国に行ったりすることで時間を過ごし、また働き続ける人が多いようです。


 もっとも、全国の主な神社仏閣には初詣の人々がどっと押し寄せてはいるようですし、ウチの地元では目の前を横切る国道1号を通過する関東大学駅伝の選手たちの応援で年始の挨拶を済ませてしまう人たちもたくさんいます。でも、なんとなく気分が乗らないこの頃の正月なのです。よく、経済界では「失われた20年」なんて言われているようですが、人の世にはメリハリを効かせることも案外大切なのではないでしょうか。


 さて、そんなことをぼやいているウチに、1月20日には米国でトランプという、政治に全く未経験の人が大統領に就任してしまいました。街にはこれに反対する人々のデモ隊があふれ、全米各地や世界中で何百万人という人々が反対の声を上げる事態となっています。


 ワシントンの議事堂前では歴代大統領を始め、上下両院の議員や多くの聴衆を前にトランプ大統領の就任演説も行われましたが、下院議員だけでも60人以上が欠席するという前代未聞の状況だったようで、式典を見物した観衆も百万には遠く及ばず、前任のオバマ大統領の時の190万人とは比較にならなかったようです。前代未聞と言えば、全米のみならずヨーロッパ各都市まで広がった反対のデモ。40パーセントという、就任時としては史上最低の支持率。そして、第一日目から前政権が全力で推進してきた保険制度を大幅に見直したり、日本まで巻き込んで進められた自由貿易推進のためのTPP離脱もありました。


 娘婿が純粋のユダヤ教徒だそうで、その進言もあったのでしょうが、これまで米国の歴代政権も絶対承認しなかった、イスラエルの首都をイスラム教徒の聖地でもあるエルサレムに移す事を認めるという、まさに「火に油を注ぐ」方針を承認するようです。これからの中東情勢を想像したくないような暴挙と言っては言い過ぎでしょうか。


 世界は大きく変化を始めたようです。トランプ政権はEUからの離脱を国民投票で認めてしまった英国との連携強化の方針を打ち出しました。ロシア、中国との関係でもこれまで先人たちが積み上げてきた努力を一気におかしくしてしまうような、この大金持ちの商売人、トランプ大統領は現実に動き出したのです。何かめまいがしそうです。


 こうした中に、私たちはここ20年ばかり、米国が先頭に立って進めてきた「グローバル」という言葉が破綻するのを見る気がします。日本でもたくさんの人たちが「この言葉こそこれからの世界だ」、と説いてきましたけれど。


 もっとも、この「グローバル・スタンダード」というものの実態は米国の標準を世界中に通用させようとしてきた面もある、と感じて参りました。米国のような広大な国土と豊かな自然資源がない日本のような国と米国を同じルールで競争させようという発想はいったい、トランプ大統領の「米国ファースト」とどう違うのでしょう。皮肉なことですね。


 皮肉といえば、EUからの離脱を決めた英国だけではなく、フランスなどでもナショナリズムを強調する政党やグループがにわかに勢力を増しているようです。発端は戦乱に明け暮れるシリアなどの中東諸国からの止めどもない難民の群れが、ドイツや英国をはじめ、ヨーロッパ諸国に押し寄せている所にもあるようです。


 「難民の中にはテロリストが混じっている」


「自国民の生活を犠牲にしてまで、これ以上の難民を受け入れる余裕はない」


 思えば、戦前の日本は世界の大勢を知らず、日清戦争の時の清国兵から中国を誤解し、「一撃すれば降参する」などと、現実離れした妄想を抱いて中国大陸に兵を進め、様々な謀略を繰り返したものの、広大な大地に兵力を消耗して泥沼に落ち込み、日露戦争のロシア兵からソ連軍を「恐るるにたらず」とソ連との決戦を夢想し、日本の後ろ盾で成立した満州帝国を認めない国際連盟から脱退し、国内の反対を押し切ってドイツ、イタリアとの3国軍事同盟を認め、太平洋戦争では、欧州方面から、「ソ連軍が続々と極東方面へ終結しつつある」という情報が送られてきていたのに一切無視して、ソ連に終戦の仲介を求めるという、今にして思えば悲しくなるほどの情報無視、情勢無知で悲惨な結末を迎えたのです。


 敗戦後は一転して「平和国家になる」と標榜して70年が経ちましたが、またまた国際情勢はほとんど無視して、多くの国民が「日本が平和を求めれば世界も平和になる」という切ないまでの世界情勢無視を続けてきたのではないでしょうか。


 ソ連や中国の多くの記者たちとも、毎年何週間かの旅を続けた私ですが、夜中までつきあっても気持ちの良い連中が多かったことを覚えています。しかし、ある時期までは、そういう記者団にも必ず党の監視役が「記者」として紛れていたことを忘れたことはありませんでした。


 また、ポーランドの記者が来日したときには廣島まで同行しました。昼間は日本の記者との懇談で熱心にソ連の立場を擁護していたのに、夜、ホテルのバーで飲んでいると、吐き捨てるように「俺たちの国にはソ連軍の戦車は15分でやってこれるんだ」とつぶやいていたのを忘れることができません。当時はまだ、日本の中には「社会主義国」に幻想を抱く人たちがたくさんいたのです。


 世界中での米国の軍事活動には批判を強め、「日本は米国の戦争には巻き込まれない」と叫んではみたものの、「自分で守れ」と言われると、慌ててしまう人もたくさんいるようです。


 どこの国の人たちだって、普通の人たちがそれほど世界の情勢や国際的なできごとを詳しく知っていると言うことはないでしょう。でも、日本の場合は戦前も戦後も、国の方向を決めたり、私たちをリードする人たちまでもが本気で現実の世界の中で日本を考えようとしないとしたら、これは日本人のものの考えかたに根本的な問題があるのでしょうか。


 これからの世代は苦しい立場に置かれてしまうのではないでしょうか。一年の初めにあたって、ちょっと真剣に考えてしまいました。


2017年1月