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 10年以上お世話になった入谷誠先生の訃報と「お別れ会」のご案内をいただいてしまいました。はるか昔の学生時代から椎間板ヘルニアに悩まされ、今や両膝とも半月板損傷で、なんとか正座してお経を上げている私ではあります。


  しかし、この程度で収まっているというのも、日本鋼管病院で「重度のヘルニアで即手術」と宣言されながら、いまだに自分の足で歩き、アルコールまでたしなんでいられる(これは直接関係がないかもしれませんが)というのも、30年近く両足裏を中心に療治していただいている静岡の大津先生のおかげがあり、そして、なんとか一人前に杖もつかずにやってこられたのは、元昭和大学リハビリセンターにおられ、後に「入谷式足底板」治療を発案された入谷先生のおかげでした。


 半年に一度ぐらい、横浜の入谷先生の「研究所」に通い、一度に5足ぐらいの靴を持参し、一足ごとに歩いてみて、敷き詰めている先生作成の足底板を微調整していただき、出かけるときには怪しくなっていた足下がスッキリして、帰宅時は颯爽と(?)歩いていたものです。


 この先生の元には大リーガーとなった松井選手を始め、現巨人軍監督の高橋氏など、多くのプロ野球の選手、サッカーやゴルフ、卓球などの有名なプレイヤー、それにエグザイル等の激しいダンスを踊る芸能タレントが通っていました。よく、私や家内のようなフツー人を診てくださったと思います。


 一昨年の末、ガンに侵されている事が判明し、研究所は夏を過ぎて再開されたものの、ひどくやせられている様子に心を痛めました。「次にうかがうときにはもっとお元気で」とお別れしたのが最後となってしまいました。


 「人の死」については普通の人よりもなれているはずの私ですが、「お別れ会」出席は悲しいことでした。それと、戸惑ったのは「無宗教で」と聞いていたのですが、焼香台が5基並んでいて、参列者は一人一人焼香したのです。


 私は、手には数珠をかけ、心の中でお経を唱えお別れしました。先生の知人の弔辞は心がこもったものでしたし、奥様が読み上げたご挨拶にも心をうたれ、それまで知らなかった先生の真剣な治療に対する姿勢と生き様には深い感銘を受けたものです。


 式場出口に並ばれた奥様やご家族ともお話しでき、ぎっしり弔問の人々で埋められたロビーを抜けると、外には遙か彼方まで焼香を待つ行列ができていました。


 しかし、「何かしっくりこないなあ」帰り道での私です。確かに元気な頃の先生の遺影には涙を誘われましたし、名札の一つもない生花による見事な祭壇も先生にふさわしいと感じました。しかし、・・・・


 「おまえは坊主だからお経が唱えられなかったり、遺影の前に位牌がないのでしっくりこなかったんじゃあないの」


 今や「音楽葬」とか、「お花によるお別れ会」とか、様々に宗教を排除した動きも登場してきています。


 ただ、元来、人の死はタダそれまで生きていた人と別れるというものではないでしょう。何らかの形でその人の生きてきた人生を締めくくり、「次の世界」への旅立ちを祈る気持ちが示されるべきだ、と思うのですが、いかがでしょうか。


 人間死ねば終わり、という訳じゃあないでしょう。「そんなこと言うけど、オレは死んだ後の世界なんか信じないよ」って方もおられるのは承知しています。それに、私もまだ死んだことがないので、死んだらどうなるのかを「こうなります」とも「どうもなりません」とも断定はできません。でも、生き残った方だってやがて死ぬわけですし、とりあえず生き残った人にとって、死んだ人は「それで終わり」ではないのです。


 そうでしょう。今年の3月11日で、あの東日本大震災が起こって5年になりますが、たくさんの人たちが家族を失い、今でも亡くなった人を求める心は強くなっているようですよ。最近、石巻と女川に行ってきましたが、未だに行方不明の方々を探す人たちがたくさんいます。亡くなった人たちの写真や遺品を飾り、仏壇の位牌に手を合わせて祈っているのです。そして、子供が使っていた自転車が庭で動き出したのを見た人たちもたくさんいます。駅から乗せた客がしばらくしたら消えてしまった、という経験をたくさんのタクシーの運転手がしたのも事実のようです。


 人には記憶や記録を残す手段がどんどん増えていますね。


 最近、ひところの反日ムードとは裏腹に、中国から日本へやって来る観光客は激増しています。一昨年は250万人、昨年は500万人を超えたそうです。当初はいわゆる「爆買い」ばかりが話題となりましたが、「日本は信頼できる」「日本は安心できる」という声も増えているそうです。最近では「もっと日本の文化が知りたい」「もっと、日本の伝統が知りたい」という人たちが増えだし、京都では、伝統芸能や、何百年も伝承されてきた伝統工芸を体験するコースなどへの人気が高くなっているそうです。


 本当は中国の方が日本より遙かに長い歴史があるのですが、どうも、王朝が滅ぼされるたびに伝統まで抹殺されたり、特に過去数百年、さらには1949年の現政権による中国が成立してから、「古いもの」は否定的に見られてきたようです。


 絹織物の、本当は中国から伝えられたものが元となっている模様に感動したり、400年以上続く竹細工に感激したり、「わが国でこれほど歴史が重んじられる時代が来るのだろうか」等と感想を漏らす人たちを見ると、人間という動物はその人が生きた時間だけが値打ちなのではなく、もっと長い時間を大切に考え、そのことに感動するのだ、ということを実感します。


 お葬式一つを考えるにしても、単なる「お別れ会」どころではなく、とても大切な命の「継承の場」でもある事を忘れてはならないでしょう。私たちの魂は人によって様々な形は取るにしても、長い旅をするものなのではありませんか。もうすぐ「お彼岸」ですね。改めて私たちの命の源流である「ご先祖」を思い、ご自分の命と時の流れを思いたいですね。



2016年3月