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 毎年の事ながら、庭の櫻の落ち葉は4か月の奮闘の末、ようやく散り終わりました。こうして今年も残すところは「しめ縄奉納」となり、延台寺の一年も終わりです。


 4月の櫻満開にはどなたも「きれいですね」「立派ですね」「見事ですね」とおっしゃって下さいます。しかし、それは一週間足らずのことで、「なんでこんなにたくさんの花を付けるんだ」とぶつぶつ言いながら掃き続けること十日、大きなビニール袋にごしごし押し込んで20ぐらいがぱんぱんにふくれあがります。


 それから、掃除は花の「がく」へ移り、空が見えないほどの青葉、若葉。本当に櫻は人騒がせな木ですね。でも、これを「切り倒してしまう」と言えば、私が殴り倒されてしまうかもしれません。


 結局、家族共々最後に近づいた紅葉したきれいな葉を、黙々とビニール袋に詰め続けるのです。人生の残り時間を意識する身としてはいたずらに、思考回路を櫻ごときに占領されたくないのですが、これは怠け者たる私の未熟を示す以外の何者でもありますまい。


 年末、安倍首相が真珠湾を訪問し、ハワイ滞在中のオバマ大統領とともにアリゾナ記念艦を慰霊のために訪問する、と発表されました。


 ふっと、私も同じ場所に立った時の事を思い出しました。それは真珠湾攻撃50周年の年で、日米両国の記者団がハワイの東西センターというところで3日間の討論会を開催したときのことでした。今でも鮮烈に思い出すのは、巨大な軍港であるのに、オアフ島の海があまりに平和的な場所であったということです。


 12月7日、日曜日の朝、突如、雲間から180機を超える日本の爆撃機、戦闘機などが襲ってきたときの人々のショックを思いました。


 日本側はこの奇襲を軍事目標に限ったため、一般市民の犠牲者(ほとんどが日系の移民だったそうです)が50数人(ほとんどが見方の機関砲の砲弾が地面にUターンして亡くなったそうです)で、軍関係者の2千5百人以上の戦死者を大きく下回ったと説明しがちです。


 とはいえ、ほとんど海面直下に沈んでいる戦艦アリゾナの上に作られた慰霊のための施設に立つと、一人一人の犠牲になられた方々の名前が刻まれた大理石の墓標に深く頭を垂れるばかりでした。そして、いまもなお海底からわずかにわき上がってくる油が何かを問いかけてくるような気がいたしたものです。


 そして、心の中で、それに引き替え、日本軍の犠牲者はあまりに数が多く、また、戦死した場所が、アジア大陸から太平洋の島々にまで及んでいるためもあって、数十万とも百万とも言われる方々が、いまだに遺骨の祖国への帰還さえままならず、放置されているという事実を思い、その人々とご家族に「申し訳ない」と思っておりました。しかも、「戦死」と言われた方々の中には、敵の弾に当たったのではなく、食べるものがなかったり、疫病にかかって手当も受けられないまま死んだ方々が多数に登られる事を思うと、胸が締め付けられ、しばし無言にならざるを得ませんでした。


 その場所で、戦後生まれの安倍首相は何を思うでしょう。


 「真珠湾攻撃」に話を戻せば、確かに米国は外務省の暗号をほとんど完全に解読しており、日本が最後通牒を提出する時間を事前に知っていたことが明らかになっています。そして、米国政府は内外の主な米軍基地にこの旨を緊急連絡しました。ところが、なぜか、ハワイの陸海軍基地に対してだけは普通の電報を打っただけで、その電報が現地司令部に配達されたのは攻撃が終わりに近づいた頃だったそうです。

 「だまし討ち」というスタンプが強烈に押され、日系市民に対する強制収容が始まりました。あれから75年。真珠湾攻撃を企画・実行した連合艦隊司令長官山本五十六大将は戦前に海軍からハーバード大学で学ぶ機会を与えられ、その後、駐在武官として米国各地の工業地帯を視察しています。ですから、米国の工業力が日本とは桁外れに強大であることを実感していました。


 それだけに海軍次官の当時は命がけでドイツとの同盟に反対し、血気にはやった軍人たちが短刀を持って押しかけてくる事態を経験しています。当時のエリート校であった海軍兵学校を卒業する前に日露戦争が勃発して参戦し、自身も指を2本失うけがを負い、戦後のポーツマス条約に不満な群衆が日比谷公園の交番を焼き討ちしたり、ついには首都に戒厳令がしかれたことを記憶していましたから、戦前「日米戦争は日本にとって最大の凶事なり」「もし戦えば、東京は米軍の力で2度3度と焼け野原となるであろう。我等軍人の家に群衆が押しかけて石を投げつけるであろう」と古郷の学校で講演したり、堀悌吉などの友人に手紙で伝えています。なんとも、無残なことです。


 戦争をしてはならないのです。ところがこの75年の間、世界中で完全に戦火が収まることはありませんでした。しかも、いまや、日本の周りの国々はほとんど核武装しています。


 これからの世代の人たちはこうした難しい環境の中で、平和を保ちつつ良き社会を、多くの人々が幸せに暮らせる社会を作って行かねばなりません。新しい年の、皆様のご多幸を心からお祈りして、今年の最終回といたします。

2016年12月