billboard.jpg

jyushoku_bar.gif

 またまた気がつけば、「お盆」。お寺が一年で一番忙しいシーズンとなってしまいました。

「もっと早く書けば良かったのに」というお叱りが聞こえてくるようです。「ごもっともです」


 でも、実はこの間、二つの難問を抱え、私の回らない頭はオーバーヒートして、焦げ付きそうになっていたのです。


 一つは十年越しでまとめた長編の原稿が、某大手新聞社で「出版せず」との判断をいただき、もう一度読み返して、根本的に書き直そうという気持ちになっていたことがあります。


 そして、もう一つには国会の動きです。昨年、安倍政権は閣議決定で「集団的自衛権を一部容認する」という方針を決定しましたが、その方針を具体化するため、連立与党の公明党との激しい議論の末、関連する11法案を国会に上程したのです。


 今、その法案は衆議院で可決され、参議院の特別委員会で与野党間の激しい議論が集中的に行われています。多くの方々がテレビなどでごらんのとおり、国会周辺には「戦争反対」「戦場に行きたくない」「我が子を助けたい」「憲法違反の法案を廃案に!」と様々な人々のデモが繰り返されています。


 私は一人の宗教関係者として、一人の人間として、当然のことながら「平和な日本」を求め、日本が戦争に巻き込まれることに反対です。これまで、過去の戦争に関する資料をずいぶんと勉強してきました。あまりにずさんな作戦。世界の情勢を把握する能力と努力不足。現場を知らない参謀たちの無知、無能。それよりも何よりも、本来してはならない中国大陸への侵略が泥沼化して太平洋戦争へ。悲惨な末路をたどった日本軍。戦争は絶対してはならないのです。今では国連憲章にも「戦争は違法」と明記されています。




 しかし、なんとも皮肉なことに、過去50年以上、この国とこの国をとりまく国々を眺めてきた一人の人間として、今は問題が少々「的外れな議論」となっている事も感じています。受験生の頃、「安保反対」のデモに参加して国会に突入した近所の早大生と議論したとき、その人が改定される条約案はおろか、独立回復時にこっそり締結され、実施されていた、当時の安全保障条約を読んだこともないと知り、唖然とした記憶が残っています。


 今は如何なのでしょうか。人々が真剣に主張し、これまでは日本の安全保障など、あまり考えたこともなかった人までも「反対」を叫びだしている様子を見ていると、逆にこの国の将来に危うさも感じてしまうのです。


 大きな話題となっている「集団的自衛権を部分的にせよ認めるのは憲法違反だ」と考える憲法学者が朝日新聞の調査に回答した人の90パーセントを超えたという衝撃があります。「政府がやろうとしているのは間違っているのじゃあないのか」と考える方が多くても当然でしょう。


 でも、私は同じ回答者の60パーセント以上が「自衛隊は憲法違反だ」と回答している事実の方が考え込まされる結果でした。


 考えてみると、かつては朝日新聞をはじめ、自衛隊と日米安全保障条約を憲法違反と主張する人たちはたくさんいました。政党でも、自民党に次いで2番目に大きな政党だった社会党や、共産党はそうでした。


 でも、ある日突然社会党はその立場を党内議論もせず180度変えました。それは、自民党と社会党、「新党さきがけ」の連立政権ができ、社会党の党首だった村山富市さんが首相に選ばれたときでした。 


 それ以来、自衛隊は社会党や民主党のリーダーも最高指揮官として仰いできたのです。新聞もいつの間にか「自衛隊は憲法違反」と言わなくなりました。でも、学者は「違反」と言っています。「集団的自衛権」の部分的な容認を判断する以前に、自衛隊を認めるのかどうかを判断しなければ筋が通らないでしょう。違いますか。


 憲法第九条を素直に読めば、一体どこに「自衛隊を保持して良い」と書いてあるのでしょうか。教えてください。


 ところが一方で、長いこと日本の軍事予算は世界でも2~3位でした。これで、「日本は軍隊を持っていない」といっても、それが国際的に通用すると思いますか。


 国連のPKO(平和維持活動)についても、共産党、社会党を中心とする人々、朝日新聞、毎日新聞などの「絶対反対」「戦争に巻き込まれる」「再びアジア人に銃口を向けるな」という強烈な反対運動を押し切って成立した「PKO協力法」で自衛隊が内戦が終了したカンボジアの選挙監視、道路工事実施のために派遣されて以来、今ではアジアのみならず、イスラエルのゴラン高原まで、また、多国籍軍の協力ではイラク特措法を成立させ、イラクのサマワに「民政支援」で派遣されています。(今では朝日新聞はPKOは良いと書いています)


 ところが、今日まで、自衛隊は宿営地の外では日本人の民間ボランティアを助けることも許されず、自分たちは、例えばオランダなどの軍隊に守ってもらってきました。自衛隊の方が優れた装備をもっていて、オランダ軍などは「なんで私たちは日本の兵隊さんを守らねばならないんだ」と、不満に思っていたそうです。


 日本が70年前戦争に敗れて、国土は焦土と化し、陸海軍は解体されました。国土は米国を中心とする英国、ソ連、中国、オーストラリアなどの連合軍に占領されていました。そうした状態の中で、もちろん自衛隊はおろか、その前進の警察予備隊もなかったときに、中国とソ連(現在のロシアなど)が結んだ友好軍事同盟条約には「日本および日本を基地とする勢力が攻めてきた場合は共同で対応する」と明確に軍隊を持たない日本を「敵」と書いていたのです。悲しかったです。でも、これが世界です。


 「徴兵制反対!」という声もお母さんたちには「自分の息子を戦争に取られるかも」という不安をあたえたようです。ところが、世界の実態は軍事技術の専門化が進み、二年程度の徴兵された人たちでは「使い物にならない」と、「徴兵制」を取っていた国々でも姿を消しつつあります。これは、誰かお母さんたちを巻き込みたいと願った「頭の良い」人が考えたスローガンでしょうね。


 皮肉なことに、今でも日本人が「平和」の象徴のように取り上げる事がある、永世中立国のスイスは現在でも国民皆兵制度の下にあり、国家予算の40パーセントが軍事費です。かつて自衛隊も輸入していたエリコンというミサイルもスイス製です。


 「えー、永世中立国になんで軍隊が必要なの」と思う方もあるでしょうが、これも世界の現実です。


 かつて、フィリッピンは米国軍の海軍基地撤去を求め、スービック湾から巨大な基地がなくなりました。でも、その何か月も経たない間に中国軍が付近の島々を占領してしまいました。フィリッピンはもう一度米軍が戻ってくることを求めています。これも悲しい現実です。


 一方で、日本は中国や北朝鮮とも仲良くして行かねばなりません。これは絶対的に大切な事です。現在、国会に提案され、審議されている11の法案の内容はどんな意味があるのでしょうか。興奮しないで、と言われてもムズカシイとは思いますが、いろいろと真剣に考えるときでしょう。有名な作家や女優さんなどが「戦争になる」ような心配もしておられます。本当なのでしょうか。


 また、「自衛隊を危険にさらしたくない」という日本の国会での議論を聞いている米国の兵隊さんたちはどう思うでしょう。「日本を守るためには命を投げだそう」と思ってくれるのでしょうか。


 今でも自衛隊は憲法違反だと考えている人がたくさんいると思います。この際、日米安保条約を破棄して、日本を依然として「旧敵国」と憲章に明記している国連(本当は連合国という意味ですね)からも脱退して、自衛隊も解散して、憲法の前文にあるように、「平和を愛する諸国民」を信頼して国の安全をゆだね、何事も「話し合い」で解決する国になるという選択肢もあるとは思います。際限なく解釈改憲をくりかえすのではなく、そういう覚悟を固めるのが正しい事かもしれません。


いずれにしても、長いことなるべく考えないようにしてきたことを、一度に考えるのは大変なことですね。「人口が減少して行く国に将来はあるのか」という声も聞きます。


 仏様のお心にはどうしたらお応えできるのでしょうか。個人的には今でも広島、長崎の被爆者と交流している私です。この方たちが味わった苦難の日々を思うと、言葉を失います。私のお寺でも10人以上の方が戦死されています。終戦の2週間前になくなった方。2日前に亡くなった方もいます。僧侶として、この方たちの魂にどう語りかけたら良いのか、なみだを禁じ得ません。


 私にも判ることは人間には様々な欲望があり、「仏様の心」が自分の心にそのまますっきりと入ってこないこともある、ということです。



2015年8月