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  気がつけば、新しい葉の緑の若々しさ、美しさが、私のような年齢の者にも、眺めているだけで、何か新しい「いのち」が吹き込まれるようで「ありがたいなあ」と思わせられる季節となってしまいました。

 この間、4月末の東京池上本門寺「千部会」での法話もなんとか無事につとめさせていただきました。また、5月は当山恒例の「虎御石まつり」もたくさんの願掛けご参拝や、「ちびっ子剣道大会」、それに、小田原から駆けつけた「外郎(ういろう)売り」の口上や太鼓の公演で賑わいを見せた境内にも静かな時間が戻ってきました。今や梅雨が始まろうとしているようです。四季のある国に生まれた幸せをかみしめている、といえばちょっと「気取りすぎ」でしょうか。


 前回は「人間の尊厳は生きているときだけのものでしょうか」という問いかけをさせていただきました。言うまでも無く、「人生」とは生きているときだけのものではありません。人間以外の動物と違って、今は無き家族のことを全く考えない人なんていませんね。 大震災の後、今も姿を消した家族を探す人たちがいます。


 先頃、天皇皇后両陛下は70年以上前に太平洋戦争で命を失った人々の慰霊のため、先年のサイパン島に続きペリリュー島を訪問されました。日米双方の犠牲者に慰霊されたのです。それを間近で拝見した生き残った34人の一人は「まさか、両陛下が直接慰霊においでになるとは夢にも思わなかった。これで戦友たちも祖国に帰れます」と、涙ながらに語っていたのが忘れられません。


 無謀な戦争の犠牲となった人々の大半は普通の市民でした。武器弾薬はもとより、食料もないまま、降伏も許されず、人間性までも喪失してしまった兵士たち。


 NHKの番組で紹介されたカラーフィルムの中に、降伏しようとして、味方に捕らえられ、後ろ手に縛られて処刑された日本の兵士たちの姿はいたましく、とうてい正視に耐えない姿でした。一方、あまりに残酷な戦争の実態に正常な精神を失い、異様な大声を出し続けて、味方にスコップで殺された米軍の兵士の話もすさまじいものでした。


 こうした実態は日本でも、米国でも公開されてきませんでした。私たちはこのような人間を人間でなくしてしまう戦争を繰り返すことがあってはなりません。そして、ひたすら、亡き人々の魂が安らかに故郷の山川に抱かれて眠れるよう祈るのです。


 70年前に終わった戦争なのに、未だ故国に帰れない遺骨の収拾が続いています。日本で沖縄戦の実態を明らかにし、それを後世に伝えようとする努力が続いています。広島、長崎の原爆や東京大空襲についても同様です。


 日本ばかりではなく、当然、相手方にもこの前の戦争に関する記憶を風化させまいとする努力があるでしょう。人間は「自分が生きる間のことだけを考えれば良い」なんて話は通じない動物なんだと思います。


 それにつけても、この国は「敗戦後」、あえて終戦後とは申しませんが、敗戦後、70年にして、国の進路を変えるようですね。「集団的自衛権」という、敗戦後の政府がこれを、「持っているけれども使えない」として、日本がヤッカイな事に巻き込まれるのを拒否してきたものが、周囲の状況がそれを許さなくなってしまったのでしょうか。さらに、憲法についても、国民が「主権者」として直接判断を下さなければならない状況が作り出されているのでしょうか。


 1月に書きましたが、まさに国会では「集団的自衛権」について、特別委員会で与野党、というよりも野党と安倍首相、中谷防衛相等、内閣の関係閣僚との論戦が続いていて、よくNHKでは生中継しています。


 でも、質問もその答えも、普段聞いたことがないような言葉がたくさん出てきて、おそらく見ていても判りづらいのではないかと、心配になります。どうですか、おわかりになりますか。やっぱり、敗戦後70年、この国の国民はほとんど軍事的なことを考えないままで済んでしまったからでしょう。「難しすぎて・・・」と言う声を聞くことがあります。 といって、この問題はあまり具体的に説明できません。もし、具体的に説明するとなると、特定の国の名前も出さねばならないでしょうし、そうなると、その国との友好関係を促進しにくくもなるでしょう。だから、ことさらに、北朝鮮の名前が出されていますね。実はもっと深刻な状況も生まれつつあるやに聞くこともありますが、それを率直に口にできないところがつらいところです。


 でも、一つだけ申し上げたいのは「平和はタダではない」ということのようです。徴兵制で守られているスイスの例をご説明しましたね。そして、もう一つ大切な点は内閣の責任は極めて大きいということです。安倍首相が、この前の戦争の終わり方も学んでおらず、基本的な事実さえ知っていないということも明らかになると、正直不安にもなります。


 すでに70年以上前、大先輩たちが、真剣な議論を重ねて決定していった国の方針も、強硬な方針をあおるマスコミと、国際情勢を理解しないままで政府を破滅の方向に煽った「世論」という「まもの」に押し流されてしまった、という歴史的事実もあります。


 いずれにしても、どうやら21世紀の世界で平和な内に、人々が幸せに暮らすという事はなかなか簡単なことではないようです。


 あなたは今、何を守りたいのですか。どなたもまず、あなた自身でしょうね。ご家族もですか。それにはご両親は入りますか。この辺からはっきりしなくなるのではありませんか。最近では「生涯を共に」と誓って結婚したはずのパートナーとも「いやになった」と別れてしまう方が結構多いんじゃありませんか。そうなると、「家族を守りたい」という方も限られてくるのかな。お子様はどうです。「エッ邪魔」そういう方もいるようですね。じゃあ、何を守りたいんですか。あなた自身だけですか。


 そういう、家族という社会の「最小」で「もっとも重要」な単位が薄くなってしまうと、「あなた」という一人の人を守るために、たくさんの人たちが日夜命がけで勤務に就くことも考えにくくなりますね。おそらく、自衛隊や軍隊だって、守るものが「自分」だけなら成立しないでしょう。残念ながらそういう国は亡くなっても仕方が無いでしょう。


 この国に住む多くの人たちが、家族ばかりではなく、地域社会やその地方、ひいてはこの国を大切に思えなかったら、そもそも「集団的自衛権」等というムズカシイ事を考える必要も無いのかな、と思います。


 自分だけが助かれば良い、と思う人の集合体を誰かが「命がけ」で守るなんて、マンガですから。もし、どこかの国の人々がこの国を支配しようとして上陸してきても「ヘイワ」「へいわ」と唱えながら、山奥にでも逃げ込んだらどうでしょうか。その先のことまでも保証はいたしかねますが。


 本当に残念ながら、毎日世界ではたくさんの女性や子供、年寄りなどが殺され、逃げ惑っています。逃げて行く国もないため、海をボロ船に押し込められて漂いつつ、死んで行く人たちもたくさんいます。病気になってもお医者さんに診てもらう事もできず、死んで行く子供たちもたくさんいます。


 お坊さんである私はただ祈るだけ、ということになるのでしょうか。前回同様、人間の知恵と勇気、そして優しい心を信じることしかないのでしょうか。「守るに値する国」って、どんな国でしょう。そこから考えたいですね。


2015年6月