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 「行く川の流れは絶えで、しかももとの水にあらず・・・・・」でしたっけ。兼好法師って方は人の人生を「川の水」と見てあの名著「方丈記」を残されたんですね。もっとも、いまでは「川の流れのように」といえば美空ひばりさんなんでしょうが・・・・。


 前回、20年以上の友人で、私より一歳若い元京都新聞記者が死んだ。「人生の無常」を実感せざるを得なかった、と書きました。実は前後してもう一人大切な友人を失っていました。慶應大学の後輩で、私たちのアジアの友人たちとの交流に参加し、フィリッピンやベトナムまで自分の学生を連れて出かけていた、明治大学の教授でした。その彼女が、まだ50代でガンのため世を去った、と弟さんから電話を受けたときの驚きは言葉で表せないほどでした。「無情」の一言ではとうてい片付けられないできごとでした。


 地震活動期に入ったという日本列島は次々と大きな地震が起こっており、九州から東海までに及ぶ大震災の可能性が報道され、なにやら気が落ち着きませんね。加えて居丈高に振る舞う周りの国々の存在もあり、「絶対にあり得ない」、ということはあり得ないのは、原発事故だけではないのかも知れません。どうも「心おだやか」ではいられないですね。


 しかし、いな、それだからこそ、若い方たちには希望を持って進んでいただきたいと願います。


 孫が小学校に入りました。母親に見送られながら近所の上級生に連れられて登校する姿は何ともいえないほどかわいく、頼もしい限りで、生命がグングン伸びて行くのを実感できます。「希望」という言葉が自然に感じられるからふしぎです。新しい命を見ているのはうれしいものですね。


新 しく社会に出て、就職した方々もいるでしょう。期待と不安が入り交じった心境でしょうか。


 私にもそういう時代がありました。ただし、お坊さんとしてではなく、サラリーマンとしてでしたが。遙か昔、1970年3月16日、「試用として採用する」ということで日本新聞協会という、日本の主な新聞と放送会社、通信社が加盟する報道団体の国際部に配属されたのです。


 ところが、初日からいきなり「今、組合がストを打っていて要員がたらんのよ。羽田に来日する東南アジアの新聞人を出迎えてホテルへ連れてきてくれ」というわけで、当時の東京の空の玄関、羽田国際空港へと出かけました。


 アジア各国から20人ぐらいのジャーナリストを招請して、「アジアの若者たちの実態」をテーマに4日間のセミナーを実施するスタッフとして便利に使われました。


 報道界や協会そのものについて基本的な実習もやらないまま、残業に次ぐ残業で、最初の1月で40時間以上の残業代をもらったのを覚えています。その後は失敗と失望、挫折の繰り返しでした。当時はひたすら私の値打ちや仕事ぶりを評価しない上司を呪ったものです。それでも、なんとかサラリーマン人生を全うしたわけですが、この間「やめてやる!」と思ったことも2度や3度ではありませんでした。


 今思えば、サラリーマンとしての私は実に使いにくい、要領の悪い男だったと納得できます。入社15年を過ぎた頃からそう思えるようになっていたでしょうか。自分が見えてきたのです。でも、悶々としていた入社9年目に、協会のゲストとして来日し、私が2週間ほど大阪、京都まで同行した米国の報道グループ企業の社長から「研修」というかたちで「アメリカに来い」と、招待されました。一介の平社員である私をその自宅に居候させ、社長は全米各地を回り、この間、有名なニューヨーク・タイムズの社主やワシントン・ポストの女性オーナー、キャサリングラハムさんの隣の席で食事をさせてもらったり、当時、最終段階にあった、スペースシャトル「コロンビア」の組み立て現場で直接さわれる距離で見学させてもらったり、ずいぶんと貴重な経験を重ねたこともありました(これが社内的には昇進のスピードを遅らせることにもなったのですが)。


 結論から言えば、その後、定年近くではありましたが、国際関係の責任者となったり、大新聞の社長の代理で国際団体の理事になったりしたのも、若いときのこうした経験が役立ったからでしょう。


 途中でやめていたら、そういう立場にもなれなかったでしょう。こうした経験は後にお坊さんとしても様々な形で役に立っています。人間、自分の値打ちをあっさり決めてしまわない方が良いようですね。簡単にあきらめず、是非、自分の真価を発揮できる下地を作っていってください。「日本の資源は水と人間」なんて言われたことがありますが、この国はますます働く人々の高い資質に支えられなければ「生き馬の目を抜くような」国際社会で生きて行けなくなるでしょう。また、高齢化に伴い、引退までの時間も長くなるでしょうから、自分をいかに磨いて行くのかが豊かな人生のカギとなるでしょう。「もう発展の余地なぞ残っていない」なんて、老人のザレゴトですよ。四千年の歴史を見てください。期待しています。

2013年4月