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 「今年こそは」の思いもどこへやら。正月の町の様子が暮れとあまり変わらないこと、つまり、街にほとんど松飾りがないことに衝撃を受け、「時代遅れの老人に近づいているのか」と嘆いて見せたところ、家人は素っ気なく「何いってんの。とっくに老人そのものでしょう」とのご託宣。


  加えて、正月過ぎには20年以上の友人で、私より一歳若い元京都新聞記者が死んだ、との電話を息子さんから受け、一瞬アタマが真っ白となりました。あたふたと京都まで出かけ、通夜と葬儀に列席しました。友は会社をやめてから、なにやら料理学校へかよって調理師免許をとったり、写真学校に通っていたと思ったら『ときどきミャンマーへ遊びに行って、アウンサン・スーチーさんの家の前まで行ってきた』などととぼけていたのが、昨年はミャンマーの山村のドキュメンタリー写真集を発行したものです。鮮やかな復活でした。怠け者の私をして、「やられたぁ。まだまだこれから活躍しそうやな」と言わしめたその友が、その直後からガンを患っていることを告げられ、闘病生活に入っていたとは、大げさでなく「人生の無常」を実感せざるを得なかったのです。


 昨年暮れの中村勘三郎さん、そして今年に入っての市川團十郎さんの訃報にも大きなショックを受けましたが友の死は全く別のことでした。その人は、一面、記者・編集者としての才能を高く評価されていながら、社内的な立ち回りが下手で役員になれず、キャリアを終えた人でした。私も元々才能といえるほどのものがなかったのに加えて主流派になれず、サラリーマンとしてはイマイチでキャリアを終えた者と自覚していました。

 そういう者同士という思いもあって京都と大磯を行き来しておつきあいしていた二人だったので、往復の新幹線の車窓から百回以上見慣れていたはずの景色をぼんやりと眺めつつ、浮かんでくるのは友の笑顔と自分の終焉ということばかりでした。


 ここ数年、宗門から、そしてお寺や地元の様々な役割が降ってきて、それに自分の寺の事で、10年以上暖めてきた原稿がまとまらず、短い文章ばかりを書いてきた自分がいたのですが、「まだまだ時間がある」という、いい訳の中にいたと思い知らされたのです。


 この原稿を書きながらも、何かをお伝えしたいと願いながらも、「ええと、あと3本宗門への原稿を仕上げなければ」などという雑念を吹っ切れずにいる始末です。


 昨年末、総選挙で惨敗した民主党政権が下野しました。この政権については時々「高校の生徒会レベル」等と酷評していた私ですが、では、政権に復帰した安倍氏率いる自民党政権はどうなのでしょうか。アベノミクスの滑り出しは快調なようですが、最大の課題、行政改革ができるのでしょうか。かつて改革派官僚を遠ざけ、財務省から「最も扱いやすい総理」と言われた麻生さんを副総理にして、大胆な行財政改革なんかできるわけがない、と思いつつも、不思議と、できて欲しいと祈るような思いがわいてくるのはどうしたわけでしょうか。


 これは、何も安倍という政治家が朝日新聞に嫌われているから、ということで判官贔屓したくなったと言うより、私自身の命が尽きる前に、この国が国際社会の中で復調を遂げていく型を見たい、という思いからのようです。


 福島をはじめとする東日本大震災の被災地復興が強力に進められて行くのか、それともこれまでのように、商店主たちが一生懸命に共同で新しい街区建設を申請しても「不許可」にしてしまうような、夜の仙台の繁華街だけが、地元の言葉でない言葉でしゃべる人々で、空前の好景気に沸くというような、無様な「復興」しか描けないままで行くならば、「火を付けて燃してしまうぞ!」と怒鳴りたくなりましょう。


 老人が行き場を失い、一月ごとに施設から施設をたらい回しされている番組を見ました。


葬式は家族葬すらなされず、埋葬もされない遺骨が毎年2万以上とか。「わずらわしい人間関係」を排除し尽くしたあげく、自分が間違いなく老人となって死んで行くと
いう動物としての避けることのできない運命に思いが至ったときには手遅れで、これ以上ないという惨めな形で終わるとは・・・・・・。


 少なくとも、このページを読んでいる方には一人としてそういう愚かな、そして惨めな人生の終焉を味わって欲しくありません。今年は、もう一度この点を皆さんとご一
緒に考えてみたい、等と、まあ、今年の最初の回ですからそんな希望を掲げておき
ます。

2013年 2月