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  新しい年が始まりました、といったとたんにもう2月も終わり。早いですね。それにつけても寒い毎日でした。どうか皆さま、お心とお体を大切にして、お元気でありますようにお祈りいたします。

  早いといえば、もうすぐ大震災から一年が経ってしまいますね。犠牲になられた方々のご冥福を祈り、被災された方々に改めてお見舞い申し上げます。

 最近、大震災取材を経験した新聞記者と食事をする機会がありました。大震災は発生した瞬間から同時進行でテレビで中継され、その後も繰り返し、繰り返し新聞、雑誌そしてあらゆるメディアを通じて、被災した人々の有様やその後の勇気や苦しみが伝えられています。
でも、私はその記者と話していて、はっといたしました。若い記者の中には被災地から帰ってきても、あまりの惨状、むごたらしいご遺体を目の当たりにして、精神的に深刻な傷を負ってしまった人がかなりいたそうです。

「そういえば、日本のテレビや新聞には大震災のすさまじい映像や写真は沢山あるけれど、ご遺体が写っている写真は全くないな。それに強烈なニオイも伝わってこない」

 そうなんです。大震災の特集写真集も沢山出ましたけれど、どこを見てもご遺体は写っていませんでしたね。実はあれには訳があるのです。日本のメディアでは戦後「申し合わせ」として、原則としては事件・事故のご遺体の写真は載せない事になってるのです。これは亡くなった方々の尊厳を考えてのことなのです。これはこれで正しい判断だと思います。
しかし、津波で壊滅した住宅街の跡地を見れば大震災の恐ろしさがうかがえますが、被災した「主役」が写らない風景だけをいくら眺めていても、本当の悲惨さや被害の深刻さ、人々の無念な気持ちは私たちに十分伝わっているといえるのでしょうか。何十万匹というおびただしい魚や様々なものの腐った臭気と、亡くなった方々のニオイの入り交じった強烈なにおいを想像できるのでしょうか。

 「おまえは坊主だから、いつも死んだ人を見慣れているからそんなこと言うんだろう」って言うんですか。そうではありません。確かにお葬式の時には亡くなった方と対面します。その多くはお元気だった時からよく知っていた方々です。専門家の手によってキレイに飾られ、まるで眠っているようです。
ちょっと、考えても見てください。大震災からあまり経っていない時期には瓦礫の中から発見した、ランドセルを背負った小学生の遺体を抱きしめ、自衛隊員が涙にくれたという事もありました。ただし、大震災や大事故によって突然一生を終わらされてしまった方のご遺体の多くは普通のお葬式の時のご遺体ではありません。一ヶ月以上経って瓦礫の中から発見された方も沢山います。倒壊した家屋の中から発見された方。大火災の焼け跡からのご遺体もあります。生前の姿とは打って変わった無惨な姿のご遺体も多かったようです。五体がそろわなかったり、体の一部だけのご遺体で、歯形とかDNA鑑定の結果ようやく名前を特定できたご遺体も多かったようです。

  それでも家族の方々は「帰ってきてくれた」「見つかって良かった」と、そのご遺体を大切に弔ったのです。当初は多くのご遺体のため、火葬場がパンク状態で使用できず、一端そのまま土葬にしたり、遠く東京などの火葬場まで運んで火葬に付された何千というご遺体がありました。お坊さんたちも必死で読経を続けたといいます。まさに「天地無情」というべきでしょう。

  震災以後、「絆」の重要性を説く多くの人々がいました。でも、今、一年に3万人以上の人々が孤独なうちに、誰にも知られずに死んで行き、残念ながら、その数は次第に増えているようです。いつも申しておりますが、私たちが命の大切さ、その命の源流である両親、その両親、そのまた両親という、命の流れを、また、その命の流れをしっかり守ってくださるお釈迦さまと諸天善神を見失わないということが大切であるのは言うまでもありません。

  しかし、もっと大切なのはその中身でしょう。ご自分の命の源流をどこまで実感できるか。それがないと、単なるスローガンに終わってしまうのではないかと心配いたします。3月にはお彼岸もあります。チャンスをとらえて、ご自分の命をしっかりお考えいただきたいと願っています。

2012年 2月