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 早いですね。もう師走です。といっても、私は走ろうとしても動悸が激しくなり、好きな酒も飲めなくなるのではないかと、そろそろとよろめく足を踏みしめて、テレビ画面に10人以上の”政党指導者”が並ぶ日本記者クラブからの中継を眺めていました。
そして、このコーナーを皆さんが読む頃には、選挙の結果が出ているでしょうね。民主主義は効率の悪い精度ですが、今のところ、これ以上の良い制度はないと思いますので、ガマンをしなければならないとは思うものの、「 トホホ」 という感は否めません。皆さんはどうですか。

  私も一応日本クラブの会員なのですが、東京まで出て行く気力が沸いてきませんでした。それよりも、狭い境内に絶え間なく降り注ぎ、掃除している私をあざ笑うがごとき桜の落ち葉との格闘でイライラが消えてしまったのかも知れません。それなのに投票日が近づいてきたら、落ちるべき葉っぱが尽きてしまうとは・・・・・


 9月からなかなかまとまった話題を筆にできませんでした。この間、10月には自分の寺の「お会式(えしき)」で汗を流し、12日には池上本門寺の「お会式」で法話(といっても、池波正太郎さんの鬼平のはなしから、家族の話等ですが)の機会をいただきました。また、人権推進委員として長崎を訪問し、日蓮宗新聞には被爆者谷口さんとの会見記事を書かせていただきました。


 11月には延台寺の檀家さんや友人たちと石巻を再訪し、いまだに仮設住宅に住む人たちと交流いたしました。帰路、福島市ではうまいそばを食べ、二本松城では見事な菊人形展を楽しみました。と思ったら、とうとう中国が本気で尖閣列島を獲りに来て、その意味も良く理解できないで反応しているメディアや一般の人たちの様子に複雑な思いと悲しさをかみしめる私です。


 そして今、あわてて忘年会の合間を縫って、今年最後のこのコーナーを書いている始末です。


 さて皆さん。あなた、毎日自分の人生をどのようなものにしたいなど、考えていますか。私は考えてきたつもりでしたが、振り返ってみれば「何を考えてきたのか」とあきれる有様です。


 まことに、自分の一生を自分でしっかりと考えるのは難しいですね。仕事のこと。
家族のこと。そして、だれにも訪れる「死」を前提にして「どう生きるか」と考えるのは凡人には簡単ではないと思います。

  9月には日本の悲しさは技術立国といいながら、技術の根源を軽んじてきたことでしょう、と書きました。でも、根源がどこから来ようが、人は自分の一生を生きねばなりません。1980年、初めてアメリカを訪問し、新聞29,テレビ5のほか、雑誌やダイレクトメール、無料新聞などを展開する報道企業の社長の家に居候して全米でいろいろな人や家族に紹介されたことがあります。今でもその社長とは交流を続けていますが、そのとき、アメリカでは高校生ぐらいで親離れし、家族が何百キロも離れて暮らすのなんか当たり前なんだと知り、ショックを受けたことを覚えています。


 当時の日本では、大学生になっても、場合によっては就職した後もなかなか親離れができず、そのくせ、いつの間にか親子兄弟はばらばらになり、「人情紙のごとし」という状況が今の日本ですね。山手線の電車の網棚に味噌樽に入った人骨が置いてあり、「いつか必ず受け取りに行きます」とメモが入っていた事を知ったときの悲しさと「一人の人の生きた人生を、こんな形で終わらせて良いのか」と心の底からの怒りがわいてきたことを忘れることができません。


 人の一生は生きていたときの時間だけで終わるわけではありませんね。宮沢賢治さんという詩人が亡くなられたのは戦前ですよ。でも、50年経っても、70年経ってもその人生は私たちに大きな力を持っていますね。私たちは詩人でも有名人でもありませんが、一人一人の人生を死んだ瞬間にゼロとなると決して考えないでいただきたいのです。もっと、自分の人生をふくらませてください。新しい年が、将来に希望を持って生き、そして死んで行ける時代への第一歩となるよう、心からお祈りし、皆様のご多幸をお祈りいたします。


2012年 12月