billboard.jpg

jyushoku_bar.gif

  「絆(きずな)」と「想定外」が今年の流行語大賞でしょうか。
毎朝のお勤めの締めくくりに、3月11日の大震災で犠牲になられたおびただしい数の犠牲者の霊魂が仏様のご加護によって蓮の台(うてな)で等しく正覚(しょうがく=正しい悟り)を成就し、家族やゆかりの人々の守護となりますように、と祈念しております。
 
 9月の声を聞くと、那智勝浦や十津川村などを、自転車並みのスピードで襲来した台風による想定外の集中豪雨が襲い、ここでも約百人もの犠牲者が出てしまいました。「どこまでも、どこまでも震災が追っかけてくる」ため息が出ます。
 
  東日本大震災から半年が経って、改めてとてつもない自然と人間の力の差を痛感させられ、悔しいですが、それに立ち向かうべき日本の最高レベルの知的指導者たちの、あるいは私たちの限界を奥歯をかみしめる思いで痛感しています。アメリカでは千年に一度の災害は「頻度が高いもの」と受け止めて原発も設計しているそうです。
予備電源は6ルートも7ルートも考えられているそうです。
 
 「知らんかった」おまけに、各地から聞こえてくる、震災地の人々への心ない仕打ちや発言に心を痛める毎日です。
「絆」という言葉がもてはやされ、家族の大切さが人々の行動を変えたという報道もあります。「本気かしら」ちょっと素直になりにくい私です。
おまけに、「これまでの津波並なら大丈夫だろう」実際にあの場所にいたら果たして適切に避難し、無事でいられたでしょうか。
考えると国の科学教育、世界一といわれる技術水準に大きな疑問が浮かびます。
私たちは今回の大震災の教訓を本当に生かし、少しでも犠牲になられた方々の無念の最後に応えることができるようになるのでしょうか。
大切な家族を失ってもけなげに生きて行こうとする人々を拝見するたびにため息が出ます。

 フト気がつくと、お彼岸です。青く澄んだ大空の雲にも何となく夏の終わりを感じます。若い方々にはピンと来ないかもしれませんが、私のように歳を取ってくると、時間の流れがことさらに早く感じられるようになるのです。
ところで、「雨にも負けず」という詩をご存じの方は多いでしょう。
今回の震災に際して国際的に活躍する俳優の渡辺謙さんが朗読し、インターネットで送信されたところ、被災された人々の大いなる感動を呼んだばかりでなく、ニューヨークやロンドン、香港などでも人々の心を揺さぶり、翻訳されて出版の計画も起こっているそうですね。

 最近、その作者である宮沢賢治さんの弟、清六さんのお孫さんの講演を聴く機会がありました。私たちの抱く賢治さんのイメージは、ちょっとうつむき加減で歩く写真から想像される、思慮深い、しかしちょっと気むずかしい感じの人物というところもありましたが、素顔の賢治さんは冗談好きで茶目っ気もある人だったようです。
花巻で裕福な家庭の長男として生まれ、父は浄土真宗の寺院の檀家総代だったそうで、小さい頃から宗教的なにおいを受けて育った人でした。
その浄土真宗のエライお坊さんが出版した「国訳妙法蓮華経」を読んで衝撃を受け、その後の生涯を法華経信仰に捧げることになったのだそうです。
しかし賢治さんは「セロ弾きのゴーシュ」「風野又三郎」「グスコーブドリの伝記」「雨にも負けず」そして「銀河鉄道の夜」などの作品で、直接それらが仏教の教えを伝えるものとは解らないように書いています。
その方が多くの人たちに幅広く受け入れられるだろうというアドバイスに従ったのだそうです。 にもかかわらず、「人は一人だけで幸せになることはできない」「人々の苦しみを自分のものと考え、行動しなければならない」など、まさしく法華経に説かれている教えを語り、それを実践し、病のため37歳でこの世を去りました。

「銀河鉄道の夜」という作品の「銀河」、つまり「天の川」こそ日蓮上人が文字に直してしたためた大曼荼羅(だいまんだら)ご本尊(ほんぞん)であり、「日蓮」という署名のところで地上の私たちの世界(此岸)が切れ目無く仏様の大宇宙(彼岸)とつながっている、と考えたのだそうです。

 彼岸にあたり、改めて天空を眺め、自分の命、人生の意味など考えるのも良いかもしれませんね。


2011年9月