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 延台寺の彼岸花は彼岸が終わるのを待っていたように、「虎女供養塚」の周りに可憐な彩りを添えてくれました。それにつけても境内にそびえる2本の桜が、また枝を伸ばし、ますます大きくなって行くのに驚いております。

  墓地は色とりどりの花に飾られ、亡き人々と生きている人がまた心の絆を深めたようです。お寺は秋のイベント宗祖「お会式(えしき)」を迎えました。3月の大震災、9月の和歌山の集中豪雨による水害。次々と自然の猛攻にさらされた日本ですが、にもかかわらず、確実に季節はめぐっているのですね。

  それにしても、東南海、南海、駿河湾と三つの地震が同時に起こる可能性も高まっている、となんとも心ざわつく情報ですね。9月にも書きましたが、家族や友人の「絆(きずな)」こそいざというときの頼りですよ。最近は大都会で一人暮らしをしてきた人たちがグループでくらす集団住宅に移り住む傾向があるという報道もありますが、自分にとって都合がよい、ということだけを求めてもうまく行かないでしょうね。

  せっかく天から与えられたチャンスですから、少しでも私たちが自分と周りの人々についてしっかりと考え、良い結果となることを願うばかりです。以前も書きましたが、人間は縦と横の様々な人々との関係の中で生きている動物ですから、自分とパソコンとの”対話”だけで生きているつもりになっても、やっぱり無理があるんじゃないですかね。
 
  自分がサラリーマンとして30年以上を過ごした東京の事務所のことを振り返ってみると、一つの担当の中での人間関係が大きく変わってしまった時期を思い出せます。それは、一人一人のデスクにパソコンが置かれ、書類の起案もパソコン、稟議(りんぎ)もパソコンに取って代わられた時でした。

  それまで、お互い、頻繁に交わしていた会話が亡くなり、3メートル先に座っている部下からメールで意見が送られてくるようになったのです。面と向かうとうまくしゃべれないが、パソコンを通じてならなんでもしゃべれるスタッフが増えたのです。人と人が直接会ってせめぎ合い、お互いをしっかり掴んで仕事を進めるというスタイルは「古い」と言われるようになったのです。

  かつては、仕事が終わって帰ろうとすると、よく部長から「おい、ちょっとつきあえ」と声がかかり、最寄りの駅の手前の飲み屋に連れて行かれたものです。そこでのやりとりはたわいもない話題も多かったのですが、ときおり、昼間は出てこなかったとびっきりのはなしが聞けたり、仕事のこつを学んだり、上司の思わぬ一面を発見したり、自分を上司に知ってもらったり、それはそれは、いろいろな課外授業でもあったのです。

  おそらく、この国の企業の一番の強みでもあった人間力はこうした直接コミュニケーションを通じて培われたというい事もあったでしょう。でも、それはできなくなりました。直接コミュニケーションが苦手な世代が中心となったのです。それから15年、先輩から後輩に口伝で伝えられた、マニュアルではカバーしきれない強固な人間関係はもう無理でしょう。そうなればアメリカやヨーロッパの国々と同じ土俵での勝負となります。現役諸氏はよくやっていますから、心配無用ともいえるのでしょうが・・・・・・・
 
 東北の人々が震災から7か月たって、避難所閉鎖で学校の講堂を掃除して去って行くとき、「みんな家族みたいに、親戚みたいに助け合ってやってきたのでつらいです」というのを聞いて、複雑な思いがいたします。「他の地域、例えば東京とか大都会でこうなるかなあ」二人で一人の65歳以上を支えなければならない日本。やがて一人で一人を背負わねばならない事態も予想されるそうです。いくら消費税を上げても、年金は払われなくなるでしょう。子供の価値はすごいですね。

  被災地で祖母の手一つで育てられていた12歳と11歳の男の兄弟がいます。ところが、そのおばあちゃんが津波で行方不明になってしまったのです。二人はなかなか「おばあちゃんは死んだ」ことを受け入れられず、7か月たって、先に進むためにお寺で葬儀を営んだ事がNHKのニュースで紹介されていました。けなげな兄弟にも打たれましたが、仮設住宅や避難先から、この葬儀に50人が集まった様子を見て、「2人は大丈夫だ。東北は必ず復興する」と確信しました。それどころか、将来の日本をリードする地域となるかもしれない、と感じたものでした。

2011年10月